キリスト教諸教会の間で1月18日から25日までと定められているキリスト教一致祈祷週間のための小冊子が今年も出来上がっています。。
https://www.cbcj.catholic.jp/2023/11/30/28362/
今年のテーマは「あなたの神である主を愛しなさい、また、隣人を自分のように愛しなさい」(ルカ10・27)です。「何をしたら、永遠の命を受け継ぐことができるでしょうか」とイエスに質問した律法の専門家が、逆にイエスから「律法には何と書いてあるか。あなたはそれをどう読んでいるか」と問われ、返したことばです。これを入り口にして、「よいサマリア人のたとえ」が語られることになります。
子どものころから、質問に質問で返すのはいけないことだと教わってきました。学級会のときなどに、それは不誠実な態度なのだと先生から教わりました。でも、そういいながらも先生は、図らずも本質を突いているような質問や、あるいは逆に、生きていくことにおいて大前提とされる倫理的基準に対立するような質問(なぜ人を殺してはいけない、なぜ盗みをしてはいけない、なぜ自殺はいけない……など)に対しては、結構質問で返していたのではないかと記憶しています。先生からすれば、そうすることが議論を深めるきっかけになる、あるいは生徒自らが深く掘り下げることを促すものとなる、そんなふうにお考えだったのでしょう。
上の例のように、質問に質問で返すイエスの姿は、福音書にいくつか描かれています。権威について尋ねられた際の「ヨハネの洗礼はどこからのものだったか。天からのものか、それとも、人からのものか」(マタイ21・25)がそうですし、税金を納めることについて問われた際の「デナリオン銀貨を見せなさい。そこには、だれの肖像と銘があるか」(ルカ20・24)もそうです。いずれも、頭が固くなってしまい、自分の地位や立場にかんじがらめになっている人から発せられた問いへの応答です。
さて、今回の一致祈祷週間の冊子表紙やポスターに採用されているのは、パウラ・モーダーゾーン=ベッカー(Paula Modersohn-Becker)というドイツの女性画家の「よいサマリア人」です。
わたしたちの固くなってしまった頭をもみほぐしてくれるような、優しさと温かみに満ちた美しい絵です。今回、たまたま表紙に採用する絵を選ぶお手伝いをさせていただいたので、この絵について、少し書いてみようと思います。
中心下部に描かれている追いはぎにあった人とサマリア人、そしてそのすぐ後ろの実の生った樹木、これら構図の手前にあるものはやや影を帯びています。一方明るさの中にあるのは、それらの背景である空や家や道です。傷ついた人を見捨てて去った祭司やレビ人は、陽の当たる道を歩いています。それに対し、半裸の人を介抱するサマリア人には、あまり光が当たっていません。これは痛烈な皮肉なのでしょう。表舞台で人々の尊敬を集める祭司やレビ人にとっては汚らわしい血のにおいが漂う忌むべき闇でしかない木陰のもとに、ユダヤの人から嫌われていたサマリア人の、半死半生の怪我人に対する愛が充満している、そんな表現であると理解できます。樹に赤い果実がたわわに実っているのがポイントなのかもしれません。愛はいのちを生み出し支えるのです。そして、愛をもっていのちを支える存在というのは、表舞台に立つ人よりも、往々にして裏方の人なのだ、そんな理解もあるでしょう。
ベッカーは1876年生まれの表現主義の画家で、セザンヌやゴッホ、ゴーギャンなどから影響を受けた作品によって画壇に地位を築きますが(「よいサマリア人」にも見られる、単純で太く力強い輪郭線などに後期印象派からの影響が表れています)、1907年、病によりわずか31歳でその生涯を終えています。
ベッカーは、世界で初めて自分自身をモデルにして裸婦像を描いた画家として著名な人です。また詩人リルケとの親交も広く知られています。ベッカーはリルケの肖像画を描いていますし、リルケはベッカーの死を悼んで『ある女友だちへの鎮魂歌』を残しました。
この長編詩でリルケは、死者の世界から帰ってくる女性の様子を夢幻的に描いています。その一節を堀辰雄は『風立ちぬ』の最終章に、「未だにお前を静かに死なせておこうとはせずに、お前を求めてやまなかった、自分の女々しい心に何か後悔に似たものをはげしく感じながら……」という、亡くなった婚約者を思う主人公の心の内を綴ることばに続いて引用しています。
そしてその直前には、主人公が神父からかけられる、あの有名なせりふが置かれています。「こんな美しい空は、こういう風のある寒い日でなければ見られませんですね」。ちなみにこのことばは、旧版『いのちへのまなざし』65にて引用されています。
優れた芸術作品は、それこそ数珠つなぎのように、あれこれと想念を紡ぎ出してくれるものです。そういう思いに浸る時間というのは大切なものです。
そして、そうした想念をたどってみれば、しみじみと思わずにはいられません。人生とは、実に実に、陰影に富んだものなのだなと。